学業レポートを書きました
こんにちは。早いもので2021年ももうあと少しですね。
さて、今日はちょうど奨学金のレポートで学業を振り返るというものがあったので、
せっかくだしそのレポートをブログにしようかなと思います。
実際、レポートに皆さんとの交流もたくさん書いたので、皆さんと一緒に振り返りたいな(小並)と思ってます。 レポート実況みたいな感じで書いていこうと思います。
奨学会の方へ
いつも本当にお世話になっております。 提出されたレポートを調べたらほとんど同じ内容の記事があった、と思われるかもしれませんが、 そのレポートを提出したのは僕です。送信時間をご覧いただくと、こっちの公開のほうが遅いはずです。
ひたすら頑張ったSセメ
私の大学生活はAセメスター(秋学期)から始まった。というのもSセメスター(春学期)は受験の延長線のように過ごしていたからだ。Sセメスターはとにかく成績を重視して、些細な努力も怠らなかった。東大では進学選択があるので成績がとにかく大事であり、また自分が東大という集団の中で全力を出したらどのくらいの成績が取れるのかを確かめたかったというのもある。母集団が優秀なので正直東大受験よりも大変だった。受験は合格ラインに達すれば良いが、この場合は天井がなく、頑張れるなら頑張っただけ良い結果になるというシステムで辛かった。だが、この努力の結果、かなり良い成績を取ることが出来た。
Sセメ、マジで勉強以外何してたんだろう()
転機
だが、それで良いのだろうかと思うようになった。もう受験は終わっていて、成績や点数がすべてではないのである。東大には本当にすごい人がたくさんいる。試験のため・成績のための勉強ではなく、自分の興味や、将来必要となるだろうことを考えて、独学で勉強している人がたくさんいる。国際物理学オリンピックに出場した人などと話すと、その人がどれだけ私の知らないことを自分で勉強しているかがよくわかる。
ほんとTwitterやサークルを通じてたくさんのつよつよの方々に出会うことができ、それが価値観の変化につながりました。ありがとうございます。
確かに、Sセメスターの成績が高い人ということで少し有名になったらしく、それで各方面に強い人とやり取りをできる機会に恵まれたのは良かった。また、高い成績を取れたことで、Aセメスター・2年のSセメスターは成績をそこまで気にしなくても進学選択で行きたい所に行けるようになったというのは大きい。Aセメスターからは、高い成績によって得られたこれらのメリットを生かして、成績目当ての勉強をやめるようにした。成績を取るための勉強となると、本質的でない箇所を暗記したり、必要以上に課題に時間を費やしたりする必要があるのだが、それをやめた。
やめました。
思いのままに過ごしたAセメ
それにより空いた時間に、自分の興味で行う勉強として、理学部数学科に進学した学生が3年で履修する代数学の内容(群・環・体論とガロア理論)を学習した。今までの勉強よりずっと難しかった。もちろん内容が難しいというのもあるが、それよりも「そもそも何を学べばいいのか分からない」という、自分で学ぶならではの難しさがあった。授業だと先生が内容を大事さに応じて取捨選択してくださるが、自分で教科書を読んでいるとそのような「価値判断」が出来ないため、漫然と学んでいっても分かった気になれないということがよくあった(よくいう「お気持ちわからん」の状態である)。修行のような期間が長かったのだ。また、テストのような明確なゴールがないので、モチベーションを維持しづらい辛さもあった。それでも勉強を続けて、少しずつ勉強の成果が見えてきた。勉強をしていると感じてくる「世界の解像度が上がる感覚」が徐々に代数学においても持ててきている。例えば必修の授業の線形代数の内容について、より深いところで関連を考えたりすることが出来るようになってきており、楽しい(行列の相似は代数学でいう共役類を成しているのだな(厳密には行列全体は群を成していないので違いはあるが、実際線形写像の合成とみるとそれなりに近い)、行列の最小多項式の考えはイデアルという環論の概念が念頭にあるのだな、など)。また、代数学の内容についてさらに進んだ知識を得ている人が同学年にやはりいた(強すぎる)ので、その人と話題を共有できたのもとても刺激になった。
高校生活でもあまり自分で範囲外のことを積極的に勉強しようみたいに思ったことはあまりなく、それよりは授業で習ったことを丁寧に理解しようという立場でした。まあそれで良かった面もあると思います。それもそれで深めていく道がありましたし、1つ1つの物を丁寧に考える姿勢とか、そういう勉強の面白さとかはそれで知った面もあると思っています。
大学に入ってからはあまり授業の内容の細部に興味が持てなくなってたんですよね。なぜか。それでSセメは受験期みたいにひたすら問題演習するとか暗記するとかを重視していた気がします。Aセメからは力点をそこから自学に移した感じです。
ただ時間をフルで勉強に回せたわけではないんですよね…もっと時間を有意義に使えるようになりたい、これは大きな目標です()
選択授業を取る際も、成績の取りやすさを考えるのではなく、自分の興味で選ぶようにした。哲学に興味があり、文科生向けの哲学Ⅱの必修授業を聞いているほか、現代思想の授業を取っている。問題意識が日頃私が抱いている物に非常に近く、それに答えが与えられるまでではないが、それに対する他の人の考えたことを読み解くことが出来るのは楽しい。どうして人間の認識を超えたような世界まで人間の営為である自然科学が予測しうるのか、人間の思考を離れたような真理は存在するか、数学や哲学はそれに到達できているのか、などである。哲学というとカントの思想を緻密に読み解いていくなどが主流なのかと思っていた(それも面白そうだが)ので、少し意外だった。哲学は同時代の自然科学の影響を受けざるにはいられない、と先生はおっしゃっていたが、現に哲学の研究者もそのように考えているのだということに驚いた。先生方との議論・雑談もよくさせていただいており、非常に刺激的で楽しい。現代思想の授業では授業後にその先生と議論させていただき、人文科学系の方の考え方などを直接学ばせていただいている。線形代数演習では、ほぼ毎週授業後に数時間にわたって雑談や議論にお付き合いいただいており、本当にありがたい。話の内容も、数学に留まらずそれに関連した哲学の話などであり、分野の垣根なく物事を考える姿勢が身についてきている。
Aセメは本当に多くの先生にお世話になりました。英語中級も「artとscienceの違い」みたいな話をひたすら論じていて、これは哲学と数学という対比と重なるところが多いのでまたたくさん議論させていただけました。時にはあまりうまく質問がまとめられなかったり意見が言えなかったり議論についていけなかったりしたこともあったんですが、お時間を取っていただけて本当にうれしかったです。ありがとうございました。
あと、Aセメを通して議論する姿勢そのものも変わった気がします。最初は緊張しましたし僕なんかが…いいのか…?みたいな風に思って自信が持てませんでした。段々あまり気にならなくなってきました。慣れは大事ですね。
教養課程を楽しみたい
勉強していると数学と哲学にあまり区別がないことが実感されてくる。文理融合型・分野横断型の教育などと最近言われているが、むしろ文理や分野を分けるほうが本来難しいのかもしれない。ある問題に答えを求めようとする際、その問いを十分に理解するためには、思考を一分野に留めておく方が難しい。こう書くともっともに見えるが、受験期に各科目ごとに勉強していた頃にはこのような感覚は真に得ていなかっただろうし(だからこそ文理融合などの言葉が高校教育で注目されていたのだろう)、Sセメスターでも依然そうであった。この実感を持ち始めてきたことをもって、私は大学での勉強の始まりとしたいのである。
Aセメから僕の大学生活が始まったと書きましたが、本当にそう思っています。
実は、私は数学に進もうとも哲学に進もうとも思っていないのだが、それらを学ぶことで、どんなことを考えるときにも基礎となるような物を得られているという実感がある。それは先ほど書いた、世界の解像度が上がるような感覚である。これこそが教養学部での前期課程の意義であると考えるし、このような勉強によってこそ享受できていると考える。
某先生もおっしゃっていましたが、進振りというシステムが最も教養教育を不可能にしている諸悪の根源だと思います。本当に教養を身につけさせたいなら、点数化をして、それを競争させるようなのはダメだと思います。全科目初ゼミ理科みたいに合否しかつかない世界になってほしい。
言い訳
おそらくAセメスターでは成績は前より落ちるだろう。だがそれは手を抜いたからというわけではなく、このような事情だということをご理解いただきたい。
これは前の記事にも書いた通りです。 →実はそんなに落ちませんでした(-0.3になった)
まとめ
最後までお読みいただきありがとうございました。
みなさんのおかげで、充実したAセメスターを過ごすことが出来ました。本当にありがとうございました。